想い出のチャーター・ナイ卜

福島雄一郎

私たちの岡崎篭城ライオンズクラブが誕生したチャーター・ナイトから、もう29年にもなる。
月日の過ぎ去る勢いに驚くばかりだ。
チャーター・ナイトの当日は春の明るい日ざしに恵まれ、ようやく水ぬるむ流れにかかる殿橋あたりは、朝から賑わいを見せていた。 青く澄んだ空にいくつものアドバルーンがゆらぎ、菅'生川の堤にはきょうのお客様をお迎えするために、数百合もの乗用車や観光バスの駐車場が特別に用意された。
ここから会場の岡崎市民会館まで何台ものシャトルバスが往復し、岡崎の街はまるでお祭りのような騒ぎになった。
来場するライオンやライオネス、そして来賓はおよそ2千数百人。 私は、酒井正君(料亭日進主人)と二人で、そうしたお客様への湯茶を用意する担当だった。
お客様1大平均2,3杯のお茶を飲む試算をすると、500gものお茶を用意しなくてはならない。 実にドラム缶2本半である。







 

想い出のチャーター・ナイ卜

福島雄一郎

そんな大量の湯茶をどうやって用意するのか。
市民会館は火気厳禁。 しかも、ペットボトルはもちろん、缶入飲料水もまだ無い時代である。 いたしかたなく会場から1キロほど離れた私の会社の空地にテントを張ることにした。
社員にも手伝ってもらい、"くど"や"はそり"などを持ち込み、昔ながらの炊事場をつくった。


 
しかし、困ったのは沸かした湯茶の運搬だった。
油くさい会社のトラックでは運べない。そこで乗用車のトランクにお茶の入った大なべを4つ乗せ、 会場との間をピストン輸送することにした。 1回に80gだから都合7回往復することになる。
 






想い出のチャーター・ナイ卜

福島雄一郎

アツアツのお茶をこぼさないようにソロソロ運転のこの作戦は、朝10時ころから夕方までかかり、私たち湯茶係りはヘトヘトになった。 来場して戴いた多くの方から、心のこもった私たちクラブのチャータ-ナイトに、 感謝と賞賛の声が湧きあがったことはありがたいが、


当クラブはどの役割の人も、なにもかも想像を絶するような大仕事だった。 しかし、みんなで汗を流し、辛抱を重ねてこそ初めて事が成り立ち、自らも向上できる感動を味わった。 それは、いつの時代、どんな世の中になっても変わらぬ真実だと、私は今も信じている





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